本日の結果とエレコム様からの優待品(+錦帯橋など)

売買なしでした。
 

本日の日経平均は142円高の2万2362円で、

含み益は約223万円戻しました。

(30733)

本日はエレコム様から選択した優待品の

イヤホンが届きました。
エレコム

また本日は岩国市の中心部から30分程度、

西に足をのばして、有名な「山賊」に行って

みました。
山賊4

いろり山賊はお休みでしたが、隣にある桃李庵

(火事で焼失する前に、公卿七輪という名前で、

会合などで何度かお世話になりました。)

が空いていました。
山賊3

山賊2

昔と変わらない味(昆布、鮭、梅干しの入った

塩味の強い味付けと、固めの海苔で巻いた

山賊むすびと、昔ながらの濃い味付けの沢庵)

でしたが、鶏肉は昔よりやや薄手の印象でした。

帰りには錦帯橋に寄って、佐々木小次郎の

ソフトクリームを食べて帰りました。(1612年に

巌流島で敗れた小次郎が錦川で燕返しを

編み出したという伝説は、時代的には合って

いますが、当時、錦帯橋はなかったようです。)
ソフト

錦帯橋3
河原まで降りてみました。

錦帯橋2
昔、忘年会で何度かお世話になった、国際観光

ホテルも健在でした。

岩国城
岩国城は市内から錦帯橋を渡った後の横山

(標高約200m)にあります。1608年に吉川広家が

築城、1615年に一国一城令で取り壊され、現在の

お城はその後1962年に復元されたものです。

錦帯橋

関ヶ原の戦いも終わっているのに、このような

大きな川(橋は約130mあります。)を渡らせて、

更に200mも山を登った所に築城した吉川広家が

何を恐れていたのか、やや理解し難い場所に

作られています。

広家

(1673年錦帯橋を築いた3代目領主吉川広喜像)

 しかし関ヶ原の戦いで家康が有利と読んだ

広家が徳川に敵対する毛利秀元(広家の総大将)

の出陣を阻み、結果的に毛利家の家名存続に繋がった

と云われるいきさつから、天下統一後も複雑な立場にあった

のかも知れません。(事実、岩国は藩として認めらず、

広家は領主であるものの、藩主ではなかったようです。)

 NHK「西郷どん」での一場面でも、維新での複雑な立場が

描かれ、現在も岩国基地問題などで山口県庁よりも国との

パイプラインが強い印象の岩国市は、未だに不思議な所

だと思う、はてさてでした。

にほんブログ村 株ブログ 株主優待へ
にほんブログ村

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です